「一人が好き」じゃない。「一人が楽」なだけ。疲れない人付き合いのヒント

バランスは、何をするにも大切だ。
そんなことは誰もが知っているはずなのに、人と会うことと、一人でいることのバランスは、なぜこんなにも難しいのだろう。
ただ自分の過ごしたいように過ごすだけ。
ただ、それだけのように感じられるのに、なぜか一人でいる時間が多すぎても、逆に少なすぎても、心は満たされない。
人と会うこと、話を聴くこと、話をすること。どれも嫌いなわけじゃない。
ただ、人と長く過ごすと、想像以上にエネルギーを消耗していることに、一人になった時にふと気づく。
「一人が好き」なわけじゃない。「一人が楽」なだけ。
ずっと一人でいたいわけではない。
むしろ、一人の時間が長くなると、誰かに会いたくなるし、話が聴きたくなる。
それは純粋に楽しい時間になりうるし、一方で、どっと疲れが押し寄せる時間になることもある。
時間の流れもまた、不思議なものだ。
楽しい時間だけが早く過ぎていくわけじゃない。一人でいる時間が驚くほど早く感じられることもあれば、まるで時が止まったように感じることもある。
それは、きっと自分が心から「楽だ」と感じられる過ごし方ができたかどうかによるのだろう。
例えば、疲れ切った頭には何も考えず何も決めなくて良い時間をつくること。
傷ついた心には優しい物語に触れる時間をつくること。
重たい身体には全てを受け入れてくれる布団の上で1日過ごすことを許してやること。
はたから見れば、ただ怠けているように見えるかもしれない。
それでも、私にとってこれが何より「楽」なのだ。
人と会っている時も同じだ。
気づけばあっという間に時間が過ぎている時もあれば、一分一秒がとてつもなく長く感じられる時もある。
結局、一人でいる時間も、人と過ごす時間も、同じなのだ。誰と会うか、何をするか、どう過ごすか。
それによって、心地よい時間になったり、そうでない時間になったりする。
例えば、移動が多いスケジュールや、会うとどっと疲れる人との時間。
これらは驚くほど早く過ぎていくことがある。
楽しいわけじゃない。
むしろ、ストレスや疲れが溜まる。
そして、一人になった途端、その感情は深いため息に変わる。
「誰とも会いたくない」「一人になりたい」。
そう思うようになる。
きっと、あなたにも心当たりのある人がいるだろう。
普段感じている「会うと疲れてしまう人」。
それは無意識に心が感じていることなのかもしれない。
仲良くできている友人や上司、家族であっても、会うことが億劫に感じるなら、それは心が疲弊してしまう相手なのだ。
だからといって、「苦手」や「嫌い」といった単純な感情とも違う。
ただ、自分の意思ではコントロールできない疲れが、心に溜まっていく。
それは誰かを責めることでも、自分を責めることでもない。
ただ、そういう性質なのだと受け止めるしかない。
これまでの人生は、その繰り返しのようにも思える。
それでも、また人に会いたくなるのは、人と過ごす時間が、かけがえのない喜びをもたらしてくれることを知っているからだ。
自分にはない考え方や感じ方、自分だけだったら思いつきもしない楽しみ方。
その人が体験した話は、私の人生に新しい選択肢を与えてくれることさえある。
「目から鱗が落ちる」とはこのことか、と思う瞬間にも出会える。
ただ教えを乞うのではなく、楽しい記憶として私を成長させながら、その人となりを知っていく時間がたまらなく楽しい。
全てを知ることはできないし、自分も友人も、常に置かれた環境で変化し続けている。
だからこそ、人と会うたびに自分の新しい一面を見つけたり、相手の知らなかった一面に気づいたりする。
それらすべてを含めて、かけがえのない楽しい時間なのだと感じる。
心に余裕が生まれた時、その楽しかった時間を鮮明に思い出すことができる。
だから、「一人が好き」なのではない。
一人でいたくなるのは、傷つかないように、疲れた自分を守るため。
そして、人とも過ごしたくなるのは、幸せな時間を知っているから。
結局のところ、それはバランスなのだろう。
すべては「ほどほど」がいい。
人と過ごすことと、一人で過ごすこと。
どちらか一方に偏るのではなく、その時々の自分にとって最適なバランスを見つけながら生きていきたい。
そんなことを考えながら、日々を過ごしている。
ただ、その最適なバランスを見つけ、それを保ち続けることが、何より難しい。
これが、今の私の現実なのだ。